確か夏休み明けに後期はフル単をとるなんてほざいていたと思うんですが、まじで予定が狂いに狂った。後期まさかの0単位。嘘だろ。

いや、まだ成績は出てないので何かの手違いで単位もらえてたりするのかもしれない。いやそんなわけあるか。レポート出してないわテスト受けてないわなのに単位もらえんのか。知らん。でも信じたい。いや無理。

 

後期、確実に取れる授業は一つあって、でも今年は私も成人式があるから早めに帰省して東京戻るのも遅くって、要はレポートの期限にどう考えても間に合いそうになかったんです。そしたら親切な友人がPDFデータを送ったらそれプリントして出してあげるよ、と。いや私の方からお願いしたんですが、快諾していただいて。これでまず2単位は取れた、と思いました。それが甘かった。迂闊だった。

 

そのレポートの締め切りは1/5だったんですが、他のレポートも頼んでいたために友人は期限日を勘違いしちゃったんですね。気づいたのはもう何日も過ぎてたから受付のポストも撤去されていたそうで。まあ、これは仕方ない。彼女を責めてもどうにもならない。そもそも人をあてにするくらいなら随分前からレポートに手をつけておくべきだったし、早めに提出しておくべきでした。3年になったら絶対にレポートは題材がわかればすぐに手をつける。心に誓います。

 

そしてあと二つレポートの授業があったんですが、この二つは前期にA評価をもらえた授業だったのですっかり味を占めていたというか、まあ、慢心していて。

前期よりもどっちも小難しい題材だったので、帰省前に資料を図書館で借りてから福岡でレポートを書こうと思ったんですが、まあ、娯楽に流れる流れる。手をつけませんでした。そしてまだギリギリで間に合うか…?という時に友人から確実に取れるものだと確信していた2単位が撃墜したとの報告を受け、もう、一気にモチベーションが下がりました。ああ、もう、どうでもいいや〜みたいな。

全然どうでもよくない。どうでもよくないんですが、私は享楽主義というか楽な方に楽な方に、目先のことばかり考えて流されてしまうので、まあ、流されてしまいました。

残りの単位数は34単位だそうで、単純計算で前期17単位、後期17単位で取れる、しかし偶数計算なので前期18単位後期16単位が無難かな…?と考えています。

そしてそれだけキツキツに単位を入れたとしても私はどうせ落とすだろうし、三年次に30単位で、4年時の残数は4単位くらいならいけそうかな、と…。

4年生は卒制が大変卒制が大変ってよく聞きますが、そんなに大変なのかしら…

今年は真面目に絵の練習に取り組んで神絵師の一歩、いや三、四歩前くらいまで到達して体重も10~20程度落とすっていう目標を立てているんですが、これに30単位までつくとなかなか厳しいぞ!??おまけに学科の授業だけならいいですが美大なので実技もありますし…いや実技がメインなんですけど。美大だし…、

 

は〜〜〜〜〜〜いやまいった。でも焦燥感は凄いですけど数字だけ見れば不可能な数字じゃないんですよね。バイトもしてないし。てかもう3年はバイトもしない。しません。

結局はどんだけ周到に計画を立てていようが怠け者の私がそれを全て台無しにするんですよね。ああ…本当に…もう…

ああ…もう…

 

 

2017年の終わりとワンダーランド

まさかの2記事目。2017年の思うこと、総括です。

過去の記事を読み返して見ると、いかに私にとって「父」が大きな存在であったかというのがよく分かる。特に高校生の頃なんかは愚痴ばっかりで早く「父」から逃げることばかり考えていた。それから大学一年生の頃は死んだ「父」との関係はあれでよかったのか、や、憎んでいたときは見えてなかったことなどを綴っていた。

読み返したらこのエピソードは書いていなかったようなので、一応書いておく。

 

私が父と最後に会話をしたのは、父が亡くなる前日の夜のことだった。その時父はもう意識朦朧としていて、眠ったようになっているか、時々目を覚まし「痛い、痛い」とうわ言をいうかになっていた。変わり果てた父を見るのは、辛かった。

父は元々ひどく弱い人で、だからこそ死の恐怖に怯えて私にあたっていた(あるいは助けを求めていた)のだろうし、そんな父にとってこの状況は辛くて怖くてたまらないだろうな、とふと思った。呻き声をあげる父に、「もう良いよ」と声をかけた。届いているかは分からないし、父の意識もあるのかは分からない。もちろん、返事はなかった。

「もう良いよ、辛いやろ、死んで良いよ」ということをぽつりと呟いた後、涙がとめどなく溢れて来て、私はまた父に向かって「ごめん」と謝った。

どうしようもなく悲しくて、私はしゃくりあげながら、か細い震えた声で「もっと仲良くしておけばよかった」と言った。返事はなかった。

しかし、父は泣いていた。まるで眠っているかのように閉じた目から通っと涙の線ができていて、このとき父に意識があったのか、私の言葉が届いたのかは分からないままだけれど、それを見て私はまた泣いた。

この話を叔母にしたら「届いとるよ、当たり前やん。人間はここってところは外さんのよ」と言ったけれど、どうなのだろう。

涙を流した後父はまたはっと目覚めて何か違うことを呟いたので、届いたのかどうかは分からない。

 

父が死んでもうすぐ2年が経つ。父のことを思い出すことなんてほとんどなくなってしまったんだな、と昨日「湯を沸かすほどの熱い愛」の地上波放送を見て号泣しながら思った。一年前のブログを見ると「夜中急に涙が出てくる」なんて文章を書いていたのに。

時間が経つと色んなことを忘れてしまうのだな、と思った。時間は優しくも残酷だ。

だからこそ覚えているうちに色んなことを書き溜めておかなければならないなとも思った。一年前と現在までの緩慢な心情変化なども記録として残っていて、ああ私ちょっとずつ過去から未来を見るようになったんだなあ、なんて思えるし。

自己啓発的内容じゃなく、もっと他人との思い出も書いていかないとなー。

 

近況としては、追課題で助手にイビられ続けた。

助手は34歳なのだけれど、とにかく情緒不安定で感じの悪い人で、ああいう人が命の母を飲むべきだよなあ。自分が自分に振り回されていて辛そうだ。ていうか、できればもう口も利きたくないくらいの人種なのに、留年(仮)認定をされてしまったからこんなことに…。自業自得。

キャパシティが狭く、複数のことを一度に持ちかけられると混乱してその混乱が苛立ちに変わりそれを露骨に態度に出すというタイプの人間なのだが、まだそれが10代20代前半の振る舞いなら分かるのだけれど、アラサーでそれはちょっとなあ…。

課題を出すにあたって助手の審査を受けてから提出という謎体育会系システムがあるのだけれど(おそらく教授の指示ではなく、助手が勝手にそうしている)、その助手不在の時は何の審査も受けずにポンと出せたり(おそらくその助手だけが自主的にやっている謎ルールで周囲と情報共有が出来ていないからだろう)、またその助手が忙しい時は露骨に苛立ちながら審査もせず受理してみたり、自主的にやっていることなので規則性がなく公平さに欠け、非常に感情的なのが気に食わない。私は運よくそこまでイビられず済んだが(当社比)、「ファン・ゴッホ」ではなく「ヴァン・ゴッホ」だろうとか(結局ファン・ゴッホが正しいと判明した)、ここは全て敬語にしろだとか、漢字の表記が分かりづらいから書き直せだとか、紙が曲がっているから印刷し直せとか、よくもまあこんなにイチャモンが思いつくものだなというようなイチャモンを吹っかけてくるのだ。

なんだかこの胸糞な感じ、高校生以来である。中身のないポーズを好む感じ。

そういう後出しでイチャモンをつけてくるなら予め注記しておくべきであるし、またそういう風に厳しくチェックを設けたいのならば自分のコンディションに左右されず公平に行うべきで、その責任が持てないのならこういうことはすべきではない。だって教授の指示ではおそらくないのだし。(教授の指示なら筋の通った基準が設けられているはずだ)。

感情的に「今日は機嫌が悪いからちょっと厳し目にしてやるか」とか「面倒だから今日はもうOKを出してやろう」とか、子供じゃないんだからありえないだろう。

しかし、会社に勤め始めるとこういうことにやきもきするのは当たり前になるのかねえ。高校の頃より理不尽には随分慣れたから「触らぬ神にたたりなし」とでもいうか、前のように正面から「それはおかしいんじゃないですか!?」と突っかかるようなことはしなくなったけれど。大抵のおかしい人間というのは正面からそれに言及したところで治るわけがないのだ。そんなんで治るんだったら最初からそんなおかしなことにはなっていない。

これが、高校の時に私に向かって「お前の人生を無茶苦茶にしてやるからな!」と豪語した先生(名前忘れた)から得た教訓だ。

この教師的にはGTOよろしく非行に走る捻くれた生徒を熱い心と心を通わす説教で矯正!みたいなつもりで私を3時間ほど拘束したつもりなのだろうが、この教師もまた、正義と自分の感情を履き違えた大人だった。自分が嫌悪したから怒鳴りつけることと、間違っているものを正そうとして怒鳴りつけることはそもそもの目的が違う。まあ、自分の向けたい方向に他人を強制的に動かすという点ではほぼ同じだが。

最初は「大人」として、「教師」として私に向かって正論(といっても独り善がりだ)を振りかざしていた彼だけど、私の態度が思うように改善せずにどんどん頭に血が上って最終的には机を蹴りながら脅迫に近い文言を吐いて罵倒した。段々と、純粋な怒りに歪んでいく様子は当時の私からしてみれば滑稽だった。

当時の私はとにかく世間を斜めから見ている生意気な子供で、大人が嫌いだった。大人のことを一切信用しておらず、そのくせ「信用しろ」といってくる大人を怒らせて、掌を返す様を見て「ほうら見ろ!嘘をつきやがって!」とさらに大人を舐める、そういう子供だった。

その先生が思っていたより私は捻くれていたのだろう。大人になってあの頃は悪いことしたなあ、なんて過去の行いを反省する…なんてのはよくある話だが、あの高校も整合性よりも感情論、というような腐った精神論を信仰する体育会系高校だったので当時の私が悪いなんて微塵も思わない。まあ真っ向からぶつからずに、もっと要領の良い抜け道はあったと思うけれど。

一月は小中高と同窓会があるのだけれど、中学と高校は結局出席することにした。小学校はほぼ中学と同じメンツだしとりあえずパスしたが、同窓会、どうなるんだろう〜。

高校の頃の友達(20)は予想もできるし文化圏も同じだけど、中学の頃の友達(20)はどうなっているのか想像がつかない。もう完全に違う人種に成長して、断絶してしまうかもしれない。怖いような見たいような。

しかし、同窓会までに痩せる予定だったのに全然痩せていないし、それどころかちょっと肥えている。クリスマスに正月で多分もっと肥える。

ぶくぶくにこえた姿でみんなと会うのが一番つらいな…。次の同窓会っていつなんだろう、25とか?その頃には胸張って会えるくらいの容姿と収入が欲しいなあ。

 

それと、だいぶ話が変わるがまた近況報告。9月以降、ドラマよりもアニメや漫画に興味を持ち始めた。実に中学生以来のことである。興味が二次元媒体に移ったことで、なおさら絵を描きたいと思うようになった。結構今年は夏休み期間に叔母の家で過ごしている間がターニングポイントになったかもな、と思う。色々と意識が変わった。

それで、ようやく口だけでなく絵の練習を励むようになったのだが、描き始めて気づいたことは私は同級生や友人たちよりも明らかに書いてきた量が少ないということである。きっと私が遅れているのはそこなのだ。書いている量が少ないから下手、単純な話である。先をゆく友達は中高から絵をずっと書いてきて、積み上げた結果が今なのだろうし、なんとなく絵が好きで福岡から逃げるための道具くらいにしか思っていなかった私は絵を全然書いてこなかったのだ。効率のいい練習法は確かにあるかもしれないが、一枚ですぐに上手くなるなんてことはありえず、量を書く前提で、だろう。

夏休み以降、本当の意味で過去から吹っ切れた気がする。いざ忘れてしまうと、もう頭の中にそのことがないので「あ、私、●●について忘れたんだな!」なんて思わないんだな。知らないうちにボヤボヤと輪郭がぼやけて薄くなっていくように記憶が消えていく。

 

留年通知をもらった時には心臓が止まるかと思ったが、体育会系研究室的にはただの脅しだったらしい。本当にポーズが好きで困る。高校の時も単位が足りないなんて嘘を疲れて脅されたな。精神論や感情論で物事を蔑ろにしていると、それに味を占めた生徒から舐められるということは頭にないのだろうか?

狼少年だ、アホらし。

あと、高校の時より明るくなったなあと思うこともあるが太って自信喪失して変に卑屈になっている部分もあるなと思った。服屋や美容院で身構えてしまう。(美容院は怖くて上京以来一度も行けず地元で散髪している)。

先日デパコス売り場に行ってMACの口紅を一本買ったのだけれど、きっと一人だったらろくに店員にも話しかけられないだろうし、「あー浮いてるなー」というのが自分でもわかるのがなおつらい。客観性があるゆえに卑屈なのである。

この肥大した自意識のせいで被害妄想めいたものにたまに取り憑かれてしまうし、精神衛生的にも速攻痩せた方がいいのだが、運動より食べることが大好きだからこそ太っているのだ。運動する習慣をすぐに作れるような人間はそもそも太らない。

プールは12月に入って全然行けていない。寒いから…。1,2,3月は時間がある分ガンガン通ってガンガン絵を描いて、周囲にとっている一年分くらいの遅れを半年くらいに縮めたい。

明日から帰省するので、そこで心情の変化もあるかもしれない。

叔母は私にとって絶対的な指針のような存在だったのだけれど、大人になるにつれその絶対性が薄まっていてつらい。叔母が年をとったのか私が大人になったのか。両方か。

地方の親戚はやっぱり、どうしても男尊女卑の煮こごりみたいな部分があるし、それこそ理不尽で意味のないポーズみたいなことがたくさんだ。もちろんいいこともあるし、親切にしていただいてるし、人自体は嫌いにはなれないのだけど…。

 

2017年、特に下半期、小さな一歩だが偉大な一歩だった。終わり。

 

 

来てるぜ 近未来

 

来年こそは実った年にするために予め年末に来年の具体的な抱負を記しておこうと思います。しかし前回の更新9日前なんですね…。自分にとって感情を整理するためのブログに篭りすぎるのは内省的になりすぎている傾向か?

 

で、目標ですが

 

・今度こそ、本当に痩せる (一年間でマイナス10キロ)

・個展をする

・イラスト、漫画が描けるようになる

・絵垢でフォロワー3桁を目指す。欲を言えば4桁

コミティアかイベントに出る、同人誌を出す

 

という感じ。一言にイラスト、漫画が描けるといっても小さなステップを踏み続けないと先はないと思いますが、、

まず人体構造把握→キャラ単体絵(あるいは二人絵)くらいを描けるようになる→パースを覚える→背景付きの絵→漫画→アニメーションって感じですかね。後半飛躍しすぎかな。

 

私は何のために絵を描いているのか考えたんですが、やっぱりまずは自分のためだなという結論に行き着きました。

周りを見れば焦りも出るし、評価されたいとかチヤホヤされたいとかいう邪な承認欲求(インターネットの人がよく使う言葉)がありますけど、そもそも何で小さい頃の私が絵を描いていたかというと空想を可視化させるためであって、他人のためじゃないのです。後からそれに他者という存在がぬっと顔を出して来た、という。

自分があったら良いな、見たいな、というものをまず作っていこうと思います。

去年(一年時)が停滞しすぎてて、今年(二年)で一年生くらいの進み方だったので来年で2年分、いや三年分くらいの跳躍をしなければ。

 

どーせ半分もできてないだろうと思っていますが、2018年12月の私、どのくらい出来ましたか?覚えていたら返信ください。良いお年を。

 

 

 

 

振り向くなよ 振り向くなよ

いやあ、遅れをとっているなあ。

最近特に思う事がこれである。

 

正直一年生の頃の記憶があまりない。私は一体何をやっていたんだろう。絵も描いていなければバイトもしておらず、学校にもあまり行っていなかったと思う。そうか、ツイッターか。ツイッターで一年棒に振ってしまった。

こんな時のためのブログだ、と思い振り返るとなんと2年の4月から痩せたい、絵が上手くなりたい、と言っていたし、それより前の記事を遡ると父とのことや福岡についてなど過去ばかり見ていた。まあ、父親が死んですぐだからこれは大目に見てもいい、だろう…。そして外見についての興味がまるでなく、化粧っ気もなかった。今は美容にも興味は出ている。いかんせん太っているので美容以前のところにいるのだが。

こうしてみると、内面性は変化したのかもしれない。そうでも思わないとやっていけない。

 

さて、友達が今年一浪して美大に入って来たわけだが、彼女の躍進っぷりはすごい。バイトで月7万?で援助なしに奨学金返済と生活をしているし、初コミケデビューして同人誌をそこそこ売っていた(私は売り子で同伴した)。来年コミティアと個展をやるつもりらしい。そして私は便乗してそのどちらとも共同でやるつもりでいるが、まあ、肩なんか並ばせれる実力はまだないのである。うーーーむ。

親しい友達に「どうせ口だけやろ」と何かを宣言するたびに言われるし、やっぱり「どうせ口だけ」だ。プールも通ってはいるものの週2がいいところだ。うーーむ。

私の人生、結構イージーモードだなあ、なんだか苦労していた気になっていたけれどお金があれば大体のことはイージーになる。しかしそれも親の力で、これからも私がイージーでいられるかどうかは私の努力次第だ。(努力次第で収入がどうなるのか分からないけれど、、、)。

一刻も早く前に進まないと。遅れている自覚があるということはまだ救えるということなのかなあ。前まで焦りさえなかった。未来を向き始めた証拠かもしれない。

 

それと、留年通告を受けたのだが(前を向くとか言っておいてこのざま)、元々規模が小さな学部&辞める人多数ゆえに追課題で許されることになった。誠意を見せてくれ、ということらしい。誠意を見せてくれたら留年は免れるなんて精神論がまかり通るくらいで、うちの学部はどうやら根性論信者・精神論信者らしい。体育会系のノリというか…。

追課題も数さえ見れば楽勝だと思ったが何度もやり直しをさせるというイビリを一切想定していなかった…。来年は絶対に追課題をもらわん…。当然か。

経過、結果、定価

はあ。さて、どうしよう。

先日のブログではツイッターのアカウントを消すかどうかで迷っていた私だったが、案外もうすぐに飽きたので結局消さずにそのまま放置することにした。なんだかんだオタク活動をするときに調べ物をしたり繋がったりするのが便利ってだけで、まあ絵うまになれば新しい出会いもあるだろう。万物流転。

 

我ながら自分の目移りの早さには呆れる。まるで湖の中にぎっしりと物が詰まっていて、湖面が揺らぐたびに浮き出るものが変わっている感じ。水面下の中にあると気づかないものが、気まぐれに浮かび出てはそれを見て慌てている、みたいな。

とにかく今年はこれを成し遂げた、というのを明確に作ろうと思う。とりあえず現時点で思いつくのは、

macbookを購入した

・クレカを申し込みした

・プールに通い始めた

ツイッターを事実上やめた(これは案外大きいような。まだ厳密にはやめてないが)

・就職進路について少しイメージを固めた

・課題としての作品の方向性が決まった

 

くらいだろうか。しかし、結局何をするにも金がかかるというのがわかる。私はやり遂げたことのつもりであげている上三つも、実際金払ってなんかしただけだし。

最後の二つも、「成し遂げた」というにはいまいち弱い。大学で教授たちに作品が褒められることが少し増えてきたというのは、まあ右も左も分からない1年生からしたら進歩といえるし、前ほど講評などで「私には何もない…!」みたいな気持ちも湧かず余裕が出てきたし、要領もつかめてきたきがする。

だが、だからと言ってそれが就職の時に役立つかというと、微妙だ。

やっぱり作品としての質も大事だが、デジタルで萌え絵の一つ二つ描けた方が絶対に金になると思う。し、結果的にデジ絵が上手くなれば作品にだって活かせるだろうし相乗効果だって狙える…はず!

サブカルぶってアートだなんだと斜に構えていたところで現実的な話飯が食えるかどうかである。

最終目標「痩せた神絵師」というのをずっと掲げてきたが、夏休み後にようやく行動に移し始めた。考えてみればまだ二ヶ月しか経っておらず、目に見えた成果を求めるのは時期尚早…だと思わず焦ろう。特に何か明確な成果は出ていない。

プールも正直あまり通えていないが、ちょっと体が絞ってこれたな〜という感じはある。最近は忙しかったが、芸祭期間になるとまた暇になるので積極的に泳ぎに行くとしよう。

そして、冬休みはもっぱら実家整理に充てよう。とにかく自室の整理、和室の整理、父の部屋の整理…

とりあえず冬休み中に自室と和室の整理が出来て、春休み(2週間くらいの滞在)で父の部屋の片付け、実家売却、〜完〜と行きたいところだが、うーむ…

冬休み中に父の部屋も手をつけておかないと厳しいか?

叔父さんがあまり当てにならないというのがきつい。しかしほぼ見ず知らずの他人のようなものなので、見ず知らずの他人の休日を割いて無賃金で働かせていると思うと相当働いてくれているのだけれど。うーむ。

そもそも春休み中に売るのも無理なのかもしれない。なんだかんだ大学卒業までに売れたらいいか?しかし固定資産税がなあ〜〜〜〜

どうせ春休みまで持ち込むということは2018年分の税は払ってしまったということで、2018年までに売却できればオールオッケーかも。2年ならまあ…仕方ない時間だろう。

よし、とにかく頑張るしかない。やる問題も微弱ではあるが整理されつつある。

セミ

 

私は中学生の頃からやってるツイッターのアカウントがあるのだけれど、それと距離が置けなくて困っている。

オタクの目覚めの中学生のとき、そして人生で一番荒んでいた高校生のとき、そして今、少しずつ世界が分かり始めている大学生の時、いつだってツイッターは私のそばにあった。

荒んでいた頃はそのストレスの矛先をツイッターの中の人間に向けて発散していたし、その悪癖がまだ現在も付いていて(というかむしろ拗らせてもっとたちの悪いことになって)いるのだ。よくないなあ、とはずっと思っていた。

炎上という炎上はまだしたことがないし、せいぜい内輪揉めの渦中くらいのレベルでのいざこざしか経験がなく、万引きしかしたことないのにイキっている中学生ヤンキーみたいなアカウントだった私だが、最近転機が訪れた。

某掲示板に晒されたのである。

某掲示板に晒された途端、なんとなく自分の今までと距離を置いて冷静に見ることができた。それに現在進行形で晒されているのにツイートをする気も起きず、徐々にツイートが減り、そしてフェードアウトするようにアカウントを消した。あれだけ四六時中張り付いていたというのに、案外あっさり離れることができた。

 

しかし、14歳から20歳の私の自意識が詰まったこの結晶を簡単に捨ててしまう勇気も起きず、それに6年の間にできたインターネット内での人脈も惜しくなって、アカウントが本当に消えてしまう1ヶ月のギリギリ前にアカウントを復活させてしまった。

 

でも、アカウントを消している最中に以前仲良かったフォロワーがインターネットで起こった他人の炎上やらなんやらに律儀にいちいち噛み付いているのをみて、「アホくさ〜」と少し笑ってしまった。以前の私もきっと「アホくさ〜」かっただろう。

14歳から20歳の自意識からそろそろ脱する時なのかもしれない。なんだかどうでもよくなってしまった。

しかし、一度復活させるとやはり6年依存してきただけあって恐ろしく居心地がいいのだ。断ち切るべきだよなあ…断ち切らないとなあ…

 

それと、最近よく絵を描くようになった。ツイッターで浮いた時間からの有意義な捻出である。小学生の頃くらい絵を描いているので少しペンだこがまた硬くなってきた。

あと、水泳にも通い始めた。なかなか長雨が続いたり体調を崩したり生理だったりで行けてないが、もっと通わないとな… 今日も雨がひどいから行かないのだけど…。

 

この自分の殻を捨てないと道はないのかも。

 

同窓会の出席の有無を即答できないみんなに安心した

後期、なかなかいい調子である。1週目、2週目はまあひどいものだったが3週目の今はぼちぼち出席できている。3週目の調子をキープできればフル単まで行かずとも4単位なんてことはあるまい。

現在、私は結構向上心に溢れている。実質一ヶ月向上心にあふれていることになる。まあまあ長続きしている。行動に移せているのかと問われるとちょっと厳しいところがあるが、授業に出るところからだ!まずは!

ロフトでシールでも買って、自分でよくできました表でも作ろうかな。今日はこれができました!あれができました!みたいな。とにかくいい調子だ。そう思ってやっていこう。他人は他人、自分は自分。いつか追い越せればいい。

嫉妬心や劣等感で気が狂いそうになっている自分を最近はよく宥めている。

とりあえず、最近見たもののまとめ。

オペラ羅生門

初恋と不倫 カラシニコフ不倫海峡朗読劇

ジョジョ

モブサイコ100

 

やっぱりエンターテインメント(というと大げさかもしれないが、これらをまとめたらまあそう言うのが適切だろう。)は刺激を受けるし、こんなすごいものを作りたい!そのために頑張らないと!と思う。明日も漫画家の原画展に行く。

 

長期休み、できれば絵の練習を毎日したいところだが、どうなるだろうか…。

実家整理を後回しにしたツケが今更来ている。一年生の時から卒業を考えて予定を組んでおくんだった〜 いや今からでも遅くはない、頑張ろう、頑張るぞ。