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変化の春…

 

大学がようやく始まった。

面談がありそこで教授から言われたことが「発想力はいいが集中力がない」ということと、「絵がアニメっぽい」ということと「もっとイメージではなく本物を見て描いたほうが良い」ということ。すべて的を射ているので「はい……」としか言えなかった。本当に的を射ている。

人の話(特に目上の人間)を全然聞かない私だったが珍しく身に入った話だった。しかし教授、森公美子に似ていて少し怖い。

 

春休みに3パタ―ンくらいしか服がなく、友人と遊ぶ際に非常に惨めな思いをしたので一気に数着買って少しオシャレになった。ZOZOTOWNで靴まで買ってしまった。あは。

痩せるまで服は買わないというルールをなんとなく作っていたがもう解禁だ。だっていつまで経っても痩せそうにないし。

一度買うことを自分に許してしまうとどこまでも浪費してしまうくせがあるので気を付けたい。そんなことを言いつつナノケアのドライヤーを買ってしまった。まあ2012年製の中古で格安なので許してほしい。新品の三分の一の値段である。

髪も染めたいけどな~ま~たお金が飛ぶよな~ていうか本当痩せないとな。。。

ようやく美意識が出てきた&お金が自由に使えるので非常にまずいのである。

しかしジムも学校が始まると忙しくてあんまり通えなさそうである。あとバイトももちろん出来なさそう。まあ学生の本分は勉強であるので、課題とか絵とかを極めるようにしよう。

ペンタブもようやく修理に出し、クリスタも買い、デッサンの本も買い、いろいろ状況は整え始めたが(ていうかお金払えばいくらでも状況は整う)、あとは私自身だ・・・

何もかも私次第である

 

とりあえず夏休みまでに60キロ台に突入する、髪を染める、ピアスを開ける、デパコスをなにかしらで買う(ファンデかな~)などやりたいことはたくさんあるが、バイトはしたくない・・・ああ・・・あ・・・

迂回破壊先送り

 

春休みがもうすぐ終わろうとしている。ついに今年私は20歳(!)になり、後見人制度も切れてすべての財産管理を一人でしなければならなくなる。徐々に、かつ着実に、「大人」としての振る舞いを求められていると感じる。

「大人」であるということは同時に「自由」と「責任」を手にすることなのではないか、と私はなんとなく思っていて、とにかくこの19歳の年は「自由」のみを享受した一年だった。

福岡から上京し、血縁からも離れ、まっさらな状態で東京に降り立ったのだ。

福岡はそんなに田舎ではない、というか都会だと私は思っているが、同年代の人間が集う場所というのは大体一緒(天神、博多駅周辺etc…)であり、常に少し気を張っておかなければならない節があった。

小学生の時の私、中学生の時の私、高校生の時の私、そして今の私、どれも同じ私であるが、その過去を知っている人間と会うのはやはりあんまり良い気はしない。

たとえば小学生の私はスカートなんか嫌いで、いつもGAPのTシャツとジーンズにスニーカーといういで立ちでよく男の子に間違われたし、それでいいと思っていた。

中学生の時の私は初めて男子のミソジニーに触れたことですっかり男に恐怖感や嫌悪感を持つようになり、それにおびえるが故にスカートなどを履こうとは思わなかった。まあ中三くらいからは着だすんだけど。また、意地が悪かった。

高校生の時の私はとにかく意地が悪かった。そして中学生くらいまでほんのりあった自意識だとか異性へのあれこれなぞはすべて捨てきってしまって、荒療治ではあったけれど解放された状態だった。

大学生の私は、というと、ようやく化粧品や体形だとかファッションだとかに興味が出てきた。小学校高学年か中学生くらいの自意識レベルだと思う。最近ファッション誌を買い始めましたよ、みたいな。

私はなんとなく自分が女の子らしくするというのが気恥ずかしいと思っていたし同時に許されないと思っていた。私みたいな劣っている人間はそういった振る舞いはすべきではない、と。また、そうやって「女の子らしく」あり男とよろしくやっている女子たちを軽蔑もしていた。

しかしよく考えると、「女の子らしく」なんて概念は嘘であり、ようは好きなようにすればいいのだ。化粧したいならすればいいし、したくないならしなければいい。でも化粧をしたり服装をきちんとしたりすれば見た目がある程度向上するのは事実で、それで少しだけ生きやすくなるという部分も事実だと思う。

どう生きやすくなるかというと劣っているということで攻撃・軽蔑されなくなることだ。つまり鎧なのである。しかしこの鎧をつけなければならないという話でもない。また、何かから己を守るため、ではなく単純にそれが好きでやっているという人間もいる。好きなようにやっていいのだ。2017年だもの。

まあたしかに多少「常識」から外れるファッションの嗜好はそれを突き通せば逆に生きづらくなるかもしれない。常に他者は私を否定してくる。ほんとうに面倒くさい。

そういう人たちは逆に普通の容姿でいることが「鎧」となるわけだ。

でもその鎧は、常に装着していなければならないものでもないと思う。

もちろん社会というのは非常にドライで酷な場所であるが、本音を出しても何か自分に跳ね返ってくることがない、摩耗することがない場所だって少しではあるけれど自力で作り出せることが出来ると思う。

大学に入って、一切のストレスから解放された今、ようやく周りが見えるようになってきたけれど、私にもそういう友人がいてくれていることが分かった。

彼女たちは立派だ。彼女たちからしたら当たり前なのだろうけれど、他人(主に私)のことまでしてやる余裕があり、なんというか、あらゆることを私のように先送りにしたり面倒くさがったりしない。無理して“そう”なのではなく、最初からそれが出来るのだと思う。

友人と厳島神社観光で宮島に一泊二日で旅行したとき、その人間性の違いが道中で如実に現れて少し凹んでしまった。なんと私は駄目で未完成な人間なのだろう。きっと彼女は昔からそうだったのだろうが、高校時代の私は常に怒っていて周囲を見る余裕なんか持ち合わせていなかったために分からなかった。だが今は分かる。とりあえず今はそれも成長として捉えることにしよう…。

この面倒くさがりでがさつで先送りにしがちな私の人間性は現在の生活や部屋によく表れている。しなければならないことを紙にメモするだけで満足し、娯楽に走り、しなければならないことが山積みされて部屋も足の踏み場がなくなり、自分で自分の首を絞めているような状態だ。今まさにそれである。

本当はブログなんて書いてる暇はないのだった。ようやく半年という長い期間を経てワコムにペンタブを送ることができたので、このブログを書き終わったら部屋の掃除、片付けをし、そしてご褒美に今日届いたシンゴジラBlu-rayを見るのだ。掃除を後回しにして先にBlu-rayを見るなんてことは絶対にしないのだ。絶対に。

 

 

父と母によって生かされている

父が死んでからというもの、母の夢も見るようになった。

母が亡くなったあとに作り置き(冷凍?)していた母の手料理が冷蔵庫にあって、父親と二人でそれを食べながら私は母に何もしてやれなかったな、と後悔するという夢だった。起きたとき私は泣いていた。時々泣きながら目が覚めることがある。

とても「悲しい」という感情に支配されていた一方で、何でこんなに悲しいんだろうかと一線引いたところで見ている自分もいた。

母は、9歳の時に亡くなった。癌だった。

私は9歳だったので当時のことをよく知らないし父も死んでしまった今出来るだけその父と母の確執とか、要は死んでいった人間の感情を背負いたくないという気持ちがあり、知る気もない。知りたくない。

なので母は家族のようでいて他人なのだった。物心つくのが3歳として、母とは6年間しか一緒にいなかったことになる。6年というと中学から今でも交流がある友達とかと同じ縁の長さだ。

もちろん親子と友人関係では濃さがまるで違うとは分かっているが、それだけ濃い付き合いや愛情などを与えられておきながら私は母と家族であったという自覚を著しく欠かけていた。

父と暮らしていたころは母の夢なんて見ることはなかった。母の不在があまりにも当たり前で、特別意識するようなことではなかった。それでも父子家庭だからといって同情を買うために、あるいは選民意識を持つためにしばしその事実をやたらとオープンにしてみたりもしたが、実際はほぼ気になっていなかった。

父も母も、いなくても生きていけると私は思っていた。

 

正月、叔母の元に帰省した際に、人は何かを与えないと何かを与えてくれない、無料ほど怖いものはないのだ、借りを作ったら必ず返さなければならない、と言われた。

ぼんやりと親が死んだ子供という位置に甘んじて与えられてきた私は、愚かなことにその言葉で冷や水を浴びせられたような気持になった。

怖い、と思った。

母の友人・知人たちが私に親切にしてくれるのは母の力で私の力ではないのだとも言われたが、さすがにそれは分かっていた。「私」ではなく「母の子供」に母が残した貸しを返しているのだ。

しかし母が死んで10年が経つと、もうその効果は切れると叔母は言った。

現に、今私が親切にしてもらっている人々に叔母はたくさんのものを返して回っている。叔母は私の保護者でいてくれているので、叔母が私が与えられた貸しを返しているのだ。

大人って、めんどくさい。正直な感想だった。厄介だった。

もうこんな小さくて終わっているコミュニティからは遠く離れて何も与えられなくていいから何も与えずにひっそりと自分の脚で生きていきたい。ぼんやりそう思った。

あれだけ父が死んだときに一人じゃないのか、と感じ、二度と福岡には帰らずに東京で一人で生きていくんだという決心をあっさりと撤回した私は、またもや同じような考えを抱いている。

きっとこれは正しくない。でも正しいことは面倒くさいのだ。

 

私は父と母によって生かされている。どんだけ偉そうな口を叩いたって父の財産と母の財産で生かされている。保護されている。生育されている。

それぞれ質こそ違えど、私のために遺した財産だ。

 

時々考える。父は結局だれとも愛し合えず分かり合えず一人で死んでしまった。唯一の家族であった私とも愛し合えず分かり合えず寄り添えなかった。

彼の一生はあまりに孤独で淋しい。もちろん彼の人格や生き方は人に誇れるようなものではけしてなかったと思うし、その結果がこうして最後に出たのだけれど、やはり家族の私は、娘の私は、お父さんのことが好きだった私は、悲しいし、してあげられなかったことが残念だ。してあげれたかどうかは別として。

私には未来があるが、父はもう死んでしまった。終わった人間だ。これから誰かとまた分かり合えることも愛し合えることもない。

父と母によって生かされている私は、きっと父に対してやった失敗をまた繰り返しながら、その恩恵をいつか切らして、自分の脚で立つしかなくなるのだろうなあ、とぼんやりと思う。

今年の夏は、福岡には帰らない。

 

 

 

1か月に1回くらいの更新ペースにしようと思っていたのに、いつの間にか年が明けてしまった。今日はセンター試験らしい。

あれから1年経ったのかと思うと不思議な気持ちになる。妥当な経過だと思うし、ついこないだだったじゃないの、とも思う。時間の感覚が私はまだつかめていない。

時間といえば、私は今年20歳になる。恐ろしいなあ、と思う。

20歳の人間の言動なんて、はたから見るとただの子供で、芸能人が名前の横に(20)なんて表示がされてあったら「若!」と思う。(23)でも思う。自分はまだ(19)なのに。

それにしても、19歳という年齢のなんと頼りないことか。

ラストティーン楽しんで!と去年の誕生日に誰か(しかも数人)に言われた気がするが、親が死んだ真っ先の誕生日はそういう気分でもなかった。誕生日か、くらいのテンションである。

ただ、私は今年は早く誕生日を終えてしまいたい。早く(20)になりたいのだ。というか早く(23)くらいになりたい。早く社会に出たい。本当は出たくないけれど、未成年・学生という肩書で得られる無責任や自由は、不自由を代償に得ているのである。もっと自由になりたい。お金も稼ぎたい。

バイト、2回目で欠席して明日登録だけしているのだが返事が来ないのでおそらく戦力外通告を受けてしまったようである。大変困った。

 

 

福岡から送ってきた東京ラスクを東京で食う

 

11月という数字に引く。早すぎる。

テレビが壊れたので同じような値段で同じソニーのテレビを買うことにした。型番をネットで調べると、2013年に出たモデルで今はもう製造終了しているらしい。福岡から東京へもって来たこのテレビは、もともと父が父の部屋で見るためにこっそりとかってきたものだった。父はいつでも私には何も言わずに大きな買い物をするので、学校帰りに駐車場を覗くとうちの番号のところに知らない車が止まっていた、ということがよくあった。(しかも車種がベンツやフェラーリ、ポルシェなどだった)

そういう父の専用だったこのテレビは、私はSMAP×SMAPの運動会を楽しみに何時間も前からリビングのバカでかいテレビの前で待機していたのに急に父がWOWWOWで映画を見始めて私が激昂したときに父も激昂してすごく乱雑に自分の部屋から居間の隣にある(つながっている)和室にドン!と置いて「これで見ろ」と言った日から、私用のテレビになった。

父はこのテレビが壊れたことを知らない。死ぬってそういうことなんだな~と思う。

父はポケモンGOも知らない。おそらく父はポケモンGOをやる側の人間だっただろうな~とも思う。

父が生きていたら、今私はどういう暮らしだっただろうか。

たぶんこんなに浪費は出来ていなかったしぎりぎりの仕送りでぎりぎりの娯楽を楽しんでいたことだろう。テレビが壊れたからお金をくれと電話をしたらきっとバイトでなんとかしろと電話越しに怒鳴られていたことだろう。

あと、たまに夜中に電話を寄越したかもしれない。仕事で東京に来たときは会ってどこかで食事をしようと持ち掛けてきたかもしれない。そして私は大学の友人に「親との食事とか行きたくねえ~」とかなんとか不満を言いながらじゃあねと別れを告げ電車を乗り継いで山の中の大学から都心に出たことだろう。

たぶん父が生きていた場合のほうが、さまざまな局面でストレスが多かったと思う。

父が死んで空洞が出来た。でも父が生きているときにそこを埋めていたのはけして快だけではなかった。

父のことなんてもう吹っ切れた、吹っ切れたまではなくとも気持ちは凪いだと思っているのに、心ではちっとも悲しくなんかないのに夜になったら涙が出る。なんでだろう?生理現象のような涙を毎日ちょっとだけ流している。

 

母の友人から仕送りが送られてきた。私のことを考えてお金を出して物を買って送るという行為をしてくれたことがうれしい。

私の周りの人々はけっこう私に甘いし優しい。私は薄情だし性格も悪く時間にだってルーズなのに周囲の人間はなんだかんだで許してくれる。運がいい。

そうは言いながらももし許されなかったら私はけっこう傷つくんだろうなと思う。私はそういう人間なのである。

 

町を歩いてるとクリスマスソングが流れていたり、あるいはクリスマスツリーが売っているような時期になってきた。去年の私は今頃受験のことで頭がいっぱいで、センター試験まであと何日、みたいなカウントダウンにおびえていたように思う。もう三年前くらいのことに感じる。いま浪人している友達はまだそのステージにいるんだなあと思うとなんだか遠く感じる。かといって地元の大学に進学しsnowで撮った自撮りを載せている髪を茶に染めメイクを覚え制服以外の服を着たかつての同級生たちも遠いのだが。

 

父が死んでもうすぐ一年経つという事実にちょっと引く。そして父関連の私がしなければいけないことはまだ山積みで、今は姿を潜めているが私が成人したとたんに襲い来るのだと思うとけして未来は明るくない。でも今は明るい、それでいいかと思う。

 

4月から5キロ痩せた。4月は人生で一番太っていた時期だったので、今もけして痩身ではないしデブなのだけど、私の人生が変わっていってるな~と感じる。最近ファッションや美容にも興味が出てきた。こういう興味というのは自発的なものなんだな、そしてそれを大抵の女の子は中高生で、あるいは小学生で通過するんだな~とも感じた。

 

結局バイトは年末には帰省したいしルーティーンがなく不規則な毎日を過ごしているので、派遣の軽作業バイトを応募してみた。軽作業ってどのくらいの軽作業なのかやってみないと分からないが、ほぼ面接で落ちることはないらしいので安心している。10月は浪費が特にひどかったので何万か稼ぎたい。

おいていかないで~!

 

私には「親友」と(私は)思っている友達がいる。高校時代の三年間は三人組で仲良く過ごした(と私は思っている)。

三人で居るのが一番楽だし、なんでも話せるし、常に笑いが絶えない(と私は以下略)。

 

が、私が大学進学を機に上京し、バラバラになった。ひとりは地元の私立に進学し、もうひとりは現在美大を目指し浪人中。そもそも私が美大を目指すきっかけとなったのは彼女なのである。

私ははっきり言ってこのふたりが結構、いや、かなり大好きなのだが、どうなのだろうか。

どうなのだろうか、とは、果たしてこのまま仲良くズッ友でいられるのか、とか、そもそもそんなことを思っているのは私だけなんじゃないか、とか、大学で(要は私の知らない世界全般)もっと大事なものを得るんじゃないか、などなど。

マジでめんどくせえ彼女か。という話なのである。

たぶん私は猜疑心の塊でひねくれまくっているが、一度心を開けばも~ずっぽり依存してしまうのだと思う。今後男と恋愛関係になったときに自分がどこまで無様なことをしてしまうのか恐ろしくてしょうがない。そもそも誰かと恋愛関係になるなんてことは今後一生無い気もするが。

でも友人関係でこれって、わたし、ヤバくないか?ヤバいと思う。

 

もう大好きなのである。二人のことが。

「私はふたりのことが好きである」と自覚しているがゆえに猶更そう思うのかもしれない。実際はそんなことないのかも。でもほかの二人よりは三人組でいることを大切に思っているのはたしかだ。

 

あるとき、キモすぎて浪人中の友人Aに、「私にとってAは一番大事だけどAにとっての一番は私じゃないんだよね」みたいなLINEを送ってしまった。不倫中のOLでも今日びこんなLINEはしないと思う。しかも同姓の友人にである。

Aは私と違って人当たりがいいため中学高校でもたくさんの友人がいる。特に中学の友人が大事なようだ。私は性格が悪いから動物園気分でつるんでいるところもあるだろう。というか私がAなら私を一番なんかにはおかないな。キモイから。

Aの返事は、「順番なんてなくてみんな大事だよ」というものだった。この一文でいかにAが人当たりがいいのかわかってもらえると思う。こういうひとなのだ。

 

次に、現在地元の私立大学に進学中のBである。

Bは飄々としたやつであり、そんなに社交的じゃない(と私は思っている)が、中学の親友というのが一番の友人のようだった。「結婚式のスピーチをさせてくれ」と頼んだら断られた。頼む私も私だ、というかこの場合私だけがただキモい。

おそらく高校生活の中では私が一番なのではないかと思う。が、今後大学生活でもっといい友人と巡り合い捨てられるんじゃないかと不安だ。

 

ここまでぐるぐる考えて、気付いた。人を大切にする方法が分からない。

唯一の家族であった父ともあんなふうな終わり方をしてしまったのだ。友人の大切にし方が分からない。どこまでやったら重くて、どこまでならちょうどいいのか。なんだこれ。DJあおいにでも相談したらどうだろうか。私よ。

どうしたら人に優しくできて、「好き」を与えられて、同等の「好き」をもらえるのか。分からない。

叔父が以前「こっちが友達と思ってれば向こうも友達だよ」と言っていたがそんなのはきれいごとだ。もちろん向こうもきれいごととして言っているんだろう。空虚な言葉である。もし私の「好き」が必ずしも相手からの「好き」と比例するのなら、私は友人AかBともう恋人になっていたかもしれない。いや、そこまではないな。そこまではないです。

とにかく、友人AとBとはずっと仲良くしていきたい。でもどうしたらいいんだろうか。そんな感じである。

 

大学で出来た友人が高校の友達が自分に依存してくる様子を私に話すのだが、「え~滑稽(笑)ダサ(笑)重いね~(笑)」みたいなスタンスで聞いていた。しかしよく考えてみるとその子は私となんら変わらない。むしろ私よりもすがすがしい。重いと思われたらどうしよう・・・みたいな、そういう、そういうのが無い。シンプルでいい。

私は結婚する予定がないが、二人が将来どっかの男と結婚したときにまた同じように「おいてかないで~!」と思えるくらいに関係を保持したい。二人の子育てが終わればまた旅行などにいきたい。ひょっとして私は、バカじゃなかろうか。意外と未来に夢を見ているんだな。

 

あと話は変わるが、バイト、落ちました。

まあみんな最初の面接では失敗してるみたいだしOKOK~なんだが、次も頑張ろう!という気持ちにはならない。だって本当は働きたくないから。誰かに働け!と言われないと働く気にならない。またお金がない!と焦り始めたら頑張ろうかな。でももう落ちちゃったししばらくは遊んじゃおう。ははは。

 

そして次に、最近ようやく美意識・自意識のようなものが芽生えてきて筋トレを始めた。体力テスト学年最下位の私だが、筋トレで身体がすこ~~~~しではあるが変化しているのを感じ、意外と楽しくなってきた。他者から見たら筋トレにすら入らないのかもしれないが、自分のペースで鍛えていこうと思う。最終的にはビリーズブートキャンプまでいきたい。というか肥満を解消したい。肥満を解消して化粧をしてしゃれた服をきたらきっと少しは卑屈な部分がなくなるんじゃないかと思う。その分傲慢にもなりそうだが。

そしたらバイトも始めるし(きっと美容系は金がかかる)、もっと積極的に生きよう。

頑張ろうね、私。頑張ろうや。

おいてかれないように・・・。

 

 

臆病デブ

 

思い付きでWeb応募し、履歴書を買い、証明写真を撮り、バイトを始めようと思い立ったのだが、なんというか、ハイの後にくる賢者モードとでもいおうか、働くことが急に怖くなってきた…。

私は怒られることが本当に本当に病的に嫌で、実際怒られると後の不快感はそうでもないのだけど、とにかく怒られるまでのあのビクビクそわそわしている時間がめちゃくちゃ嫌なのだ。高校のころも異様におびえていて同級生から不思議がられたりもした。

自分なりに理由を考えてみたのだけれど、やはり父親のせいだろうと思う。

父親はかなりの情緒不安定で、急に怒鳴りだしたかと思えば泣き出したり、常人には理解できない感情周期があって、私は父と暮らした9年間このせいでえらい怒られた。

さっきまでニコニコ話してたかと思えば急に「おい!!!」と怒鳴られ部屋まで来られたり、とにかくめちゃくちゃだった。

そういう生活が十年近く続いた結果、私は怒られたくないという気持ちが病的に強くなってしまったのだと思う。

学校でも、このせいで教師に質問が出来なかった。父になにか尋ねたら場合によっては怒られたからである。というか、私は最終的には怒られたくないあまり父とできるだけ顔を合わすのを避けていた。それを周囲の大人に対しても引きずっているのだ。

遅刻をした、何かミスをした、というときにもう怒られるのが嫌で嫌で嫌で嫌で、遅刻して文句を言われたくないあまり学校を丸ごと休んでしまったりとか、そういう謎行為をやってしまうのだ。もしかして、これ、発達障害

そういうわけで、私は働くのがめっちゃくちゃ怖い。できればバイトとかしたくないというのが本音である。が、仕方ない……。

最終的にはどこかしらに就職する身だし、目先の問題として金がない。

私は美大に通っておきながらお金になるほどの絵のスキルもないし、画材は高いし、そもそも芸術作品って、製作費に結構なお金がかかるのに対して出来上がったあとはなんのお金にもならないのだ。要するにお金を投げ捨ててるのと同じなのである。

じゃあなんで美大いったんだよって話になってしまうけど、、、、

また、娯楽費。東京は誘惑がたくさんある。また、私は長い間父の財布から好き放題にお金を抜いて遊びほうけていたので(父へのやり返しの意味もあった)、金銭感覚が貧乏な学生に見合っていないのである。。。

漫画を衝動買いだとか、最近だとデブでロクに服も入らないくせに雑誌を買いまくったりとか、あとちょっといい店で外食したりとか。。。セレブ主婦か?みたいな金遣いをしているのだ。(まだ服はそんなに買っていないのが幸い、、、デブの唯一の利点かもしれない。)

 

そういう訳で、バイトをやらなければいけない理由はめちゃくちゃあるし、そういう部分を踏まえてやっぱりバイトはやりたいのだが、働くのが怖い

 

まあでも、いつかは誰かが通る道だ、仕方がない・・・

バイトを一生懸命して、友達と旅行にでも行ってみたい。もっと高い服とかも買ってみたい。下北沢とか原宿とかいけるくらいのサブカル女になりたい。

・・・逆にバイトをしているということにかまけて金を使ってしまいそうなのが不安である。

 

あと、バイトをやらなければという意識を後押ししている一番大きなものは罪悪感である。先ほども言ったように、芸術と商業は相いれないため、現在私にはなんの生産性もない。また、近親者も親しい友人もいないために、存在理由がないのだ。

生きてるだけで余計なことばかりして金を使いまくる、ゴミなのである。私が死んでも誰も迷惑しないどころか、むしろお得。そういう現状なのだ。

唯一困るのは高い学費をとれない大学だろうか……。

そもそも私が死んで涙を流す人間、いるのだろうか。まあ19年程度しか生きてない人間だと、誰でも親くらいしか悲しまないか。芸能人とか以外は。

 

話が色々飛躍したが、まず応募しただけで面接も受けてないので、面接に受かってからだ・・・

 

それと、話は変わるがもうひとつ。

私は現在80キロのデブなのである。173センチ80キロのデブだ。

自分では鏡を見るとき顔くらいしか見ないからいまいち分からなかった(いや、気付かないふりをしていただけだ)が、写真なんかをとると、もう、友達との厚みが違いすぎる。ヤバいのである。

また、デブというのはかなり劣等感を刺激する。ただでさえ低い自己肯定感がもっと低くなるのだ。

服屋もあんまりおしゃれだと周りを一周してからしか中に入れないし、おしゃれなカフェとかでは一人できたときに変な汗をかく。デブだから夏場は常に汗だくなのだが。

 

あと、仲間内でのデブネタ。デブいじり。

私は仲間内では臆病な本性がばれないように高圧的にふるまっており、どちらかというといじる方で、どちらかというといじめる方に位置づけられる。

だが、デブだ。

デブが上から目線って何事?死んだ方がいいんじゃない?と私は私に対して常に思っているし、周りの人もきっと思っているのだろう。でも優しいから言わないだけだ。

だから仲間内でのデブネタみたいな流れになったときに自虐ネタとして「私がデブで~すwwww」みたいなことができないのだ。プライドが高すぎて。

自分のことを死ぬほどキモイと思ってるくせに、プライドだけがめちゃくちゃ高いのだ。

だから人にばかにされているのではないかという意識が常にあり、特に先ほどもあげた服屋やカフェ、また若い男の集団を近くにしたときなんかは死にたくなるのだ

人の笑い声が嘲笑にきこえるのである。道を歩いているときの、ガラスにうつっている私は、ありえないほどに醜い。

 

そういうわけで痩せたいのである。痩せたいからここ最近断食めいたことをやっているのだが、なかなか痩せない。痩せないしすぐ戻る。

ダイエットとは一朝一夕で効果が出るものではないというのはたしかにそうなのだが、ずっとデブは困る。

私は最終的に173の50キロ代前半まで落としたいのだ。

こうすればたぶん似合わない服もないし、顔がどうでも、体形と身なりさえ整っていれば誰にも舐められない。舐められたくない。他人にばかにされているのではとびくびくしたくないのだ。

とりあえずバイトをすれば運動量も増えるだろうし、家に引きこもらなくなるだろう・・・最悪辞めればいいんだし。。。

少しずつ人生を改善していきたい。でも、卒業後のビジョンが無い、8分の1は終わったのだ。あまり時間はない。