振り向くなよ 振り向くなよ

いやあ、遅れをとっているなあ。

最近特に思う事がこれである。

 

正直一年生の頃の記憶があまりない。私は一体何をやっていたんだろう。絵も描いていなければバイトもしておらず、学校にもあまり行っていなかったと思う。そうか、ツイッターか。ツイッターで一年棒に振ってしまった。

こんな時のためのブログだ、と思い振り返るとなんと2年の4月から痩せたい、絵が上手くなりたい、と言っていたし、それより前の記事を遡ると父とのことや福岡についてなど過去ばかり見ていた。まあ、父親が死んですぐだからこれは大目に見てもいい、だろう…。そして外見についての興味がまるでなく、化粧っ気もなかった。今は美容にも興味は出ている。いかんせん太っているので美容以前のところにいるのだが。

こうしてみると、内面性は変化したのかもしれない。そうでも思わないとやっていけない。

 

さて、友達が今年一浪して美大に入って来たわけだが、彼女の躍進っぷりはすごい。バイトで月7万?で援助なしに奨学金返済と生活をしているし、初コミケデビューして同人誌をそこそこ売っていた(私は売り子で同伴した)。来年コミティアと個展をやるつもりらしい。そして私は便乗してそのどちらとも共同でやるつもりでいるが、まあ、肩なんか並ばせれる実力はまだないのである。うーーーむ。

親しい友達に「どうせ口だけやろ」と何かを宣言するたびに言われるし、やっぱり「どうせ口だけ」だ。プールも通ってはいるものの週2がいいところだ。うーーむ。

私の人生、結構イージーモードだなあ、なんだか苦労していた気になっていたけれどお金があれば大体のことはイージーになる。しかしそれも親の力で、これからも私がイージーでいられるかどうかは私の努力次第だ。(努力次第で収入がどうなるのか分からないけれど、、、)。

一刻も早く前に進まないと。遅れている自覚があるということはまだ救えるということなのかなあ。前まで焦りさえなかった。未来を向き始めた証拠かもしれない。

 

それと、留年通告を受けたのだが(前を向くとか言っておいてこのざま)、元々規模が小さな学部&辞める人多数ゆえに追課題で許されることになった。誠意を見せてくれ、ということらしい。誠意を見せてくれたら留年は免れるなんて精神論がまかり通るくらいで、うちの学部はどうやら根性論信者・精神論信者らしい。体育会系のノリというか…。

追課題も数さえ見れば楽勝だと思ったが何度もやり直しをさせるというイビリを一切想定していなかった…。来年は絶対に追課題をもらわん…。当然か。

経過、結果、定価

はあ。さて、どうしよう。

先日のブログではツイッターのアカウントを消すかどうかで迷っていた私だったが、案外もうすぐに飽きたので結局消さずにそのまま放置することにした。なんだかんだオタク活動をするときに調べ物をしたり繋がったりするのが便利ってだけで、まあ絵うまになれば新しい出会いもあるだろう。万物流転。

 

我ながら自分の目移りの早さには呆れる。まるで湖の中にぎっしりと物が詰まっていて、湖面が揺らぐたびに浮き出るものが変わっている感じ。水面下の中にあると気づかないものが、気まぐれに浮かび出てはそれを見て慌てている、みたいな。

とにかく今年はこれを成し遂げた、というのを明確に作ろうと思う。とりあえず現時点で思いつくのは、

macbookを購入した

・クレカを申し込みした

・プールに通い始めた

ツイッターを事実上やめた(これは案外大きいような。まだ厳密にはやめてないが)

・就職進路について少しイメージを固めた

・課題としての作品の方向性が決まった

 

くらいだろうか。しかし、結局何をするにも金がかかるというのがわかる。私はやり遂げたことのつもりであげている上三つも、実際金払ってなんかしただけだし。

最後の二つも、「成し遂げた」というにはいまいち弱い。大学で教授たちに作品が褒められることが少し増えてきたというのは、まあ右も左も分からない1年生からしたら進歩といえるし、前ほど講評などで「私には何もない…!」みたいな気持ちも湧かず余裕が出てきたし、要領もつかめてきたきがする。

だが、だからと言ってそれが就職の時に役立つかというと、微妙だ。

やっぱり作品としての質も大事だが、デジタルで萌え絵の一つ二つ描けた方が絶対に金になると思う。し、結果的にデジ絵が上手くなれば作品にだって活かせるだろうし相乗効果だって狙える…はず!

サブカルぶってアートだなんだと斜に構えていたところで現実的な話飯が食えるかどうかである。

最終目標「痩せた神絵師」というのをずっと掲げてきたが、夏休み後にようやく行動に移し始めた。考えてみればまだ二ヶ月しか経っておらず、目に見えた成果を求めるのは時期尚早…だと思わず焦ろう。特に何か明確な成果は出ていない。

プールも正直あまり通えていないが、ちょっと体が絞ってこれたな〜という感じはある。最近は忙しかったが、芸祭期間になるとまた暇になるので積極的に泳ぎに行くとしよう。

そして、冬休みはもっぱら実家整理に充てよう。とにかく自室の整理、和室の整理、父の部屋の整理…

とりあえず冬休み中に自室と和室の整理が出来て、春休み(2週間くらいの滞在)で父の部屋の片付け、実家売却、〜完〜と行きたいところだが、うーむ…

冬休み中に父の部屋も手をつけておかないと厳しいか?

叔父さんがあまり当てにならないというのがきつい。しかしほぼ見ず知らずの他人のようなものなので、見ず知らずの他人の休日を割いて無賃金で働かせていると思うと相当働いてくれているのだけれど。うーむ。

そもそも春休み中に売るのも無理なのかもしれない。なんだかんだ大学卒業までに売れたらいいか?しかし固定資産税がなあ〜〜〜〜

どうせ春休みまで持ち込むということは2018年分の税は払ってしまったということで、2018年までに売却できればオールオッケーかも。2年ならまあ…仕方ない時間だろう。

よし、とにかく頑張るしかない。やる問題も微弱ではあるが整理されつつある。

セミ

 

私は中学生の頃からやってるツイッターのアカウントがあるのだけれど、それと距離が置けなくて困っている。

オタクの目覚めの中学生のとき、そして人生で一番荒んでいた高校生のとき、そして今、少しずつ世界が分かり始めている大学生の時、いつだってツイッターは私のそばにあった。

荒んでいた頃はそのストレスの矛先をツイッターの中の人間に向けて発散していたし、その悪癖がまだ現在も付いていて(というかむしろ拗らせてもっとたちの悪いことになって)いるのだ。よくないなあ、とはずっと思っていた。

炎上という炎上はまだしたことがないし、せいぜい内輪揉めの渦中くらいのレベルでのいざこざしか経験がなく、万引きしかしたことないのにイキっている中学生ヤンキーみたいなアカウントだった私だが、最近転機が訪れた。

某掲示板に晒されたのである。

某掲示板に晒された途端、なんとなく自分の今までと距離を置いて冷静に見ることができた。それに現在進行形で晒されているのにツイートをする気も起きず、徐々にツイートが減り、そしてフェードアウトするようにアカウントを消した。あれだけ四六時中張り付いていたというのに、案外あっさり離れることができた。

 

しかし、14歳から20歳の私の自意識が詰まったこの結晶を簡単に捨ててしまう勇気も起きず、それに6年の間にできたインターネット内での人脈も惜しくなって、アカウントが本当に消えてしまう1ヶ月のギリギリ前にアカウントを復活させてしまった。

 

でも、アカウントを消している最中に以前仲良かったフォロワーがインターネットで起こった他人の炎上やらなんやらに律儀にいちいち噛み付いているのをみて、「アホくさ〜」と少し笑ってしまった。以前の私もきっと「アホくさ〜」かっただろう。

14歳から20歳の自意識からそろそろ脱する時なのかもしれない。なんだかどうでもよくなってしまった。

しかし、一度復活させるとやはり6年依存してきただけあって恐ろしく居心地がいいのだ。断ち切るべきだよなあ…断ち切らないとなあ…

 

それと、最近よく絵を描くようになった。ツイッターで浮いた時間からの有意義な捻出である。小学生の頃くらい絵を描いているので少しペンだこがまた硬くなってきた。

あと、水泳にも通い始めた。なかなか長雨が続いたり体調を崩したり生理だったりで行けてないが、もっと通わないとな… 今日も雨がひどいから行かないのだけど…。

 

この自分の殻を捨てないと道はないのかも。

 

同窓会の出席の有無を即答できないみんなに安心した

後期、なかなかいい調子である。1週目、2週目はまあひどいものだったが3週目の今はぼちぼち出席できている。3週目の調子をキープできればフル単まで行かずとも4単位なんてことはあるまい。

現在、私は結構向上心に溢れている。実質一ヶ月向上心にあふれていることになる。まあまあ長続きしている。行動に移せているのかと問われるとちょっと厳しいところがあるが、授業に出るところからだ!まずは!

ロフトでシールでも買って、自分でよくできました表でも作ろうかな。今日はこれができました!あれができました!みたいな。とにかくいい調子だ。そう思ってやっていこう。他人は他人、自分は自分。いつか追い越せればいい。

嫉妬心や劣等感で気が狂いそうになっている自分を最近はよく宥めている。

とりあえず、最近見たもののまとめ。

オペラ羅生門

初恋と不倫 カラシニコフ不倫海峡朗読劇

ジョジョ

モブサイコ100

 

やっぱりエンターテインメント(というと大げさかもしれないが、これらをまとめたらまあそう言うのが適切だろう。)は刺激を受けるし、こんなすごいものを作りたい!そのために頑張らないと!と思う。明日も漫画家の原画展に行く。

 

長期休み、できれば絵の練習を毎日したいところだが、どうなるだろうか…。

実家整理を後回しにしたツケが今更来ている。一年生の時から卒業を考えて予定を組んでおくんだった〜 いや今からでも遅くはない、頑張ろう、頑張るぞ。

 

2017.07.29~2017.09.03

 

色々書きたいことがある。とりあえず、今日から約一ヶ月の夏休みが終わり、学校が始まった。久しぶりにみんなと会ったが、思ったほど緊張もせず、懐かしくもなく、普通。

この一ヶ月、私は叔母の家で過ごした。叔母との暮らしは安定的というか恒常性があって、基本的なルーティーンというのは変わらない。まあ社会人の生活だし、当然といえば当然だが。

しかしその決まった枠としての生活のなかで、小さな変化が日々起きている。例えば今日はこのフルーツが出ているから買ってみよう、とか、布団を干したから気持ちがいい、とか。いわゆるていねいな暮らしってやつ。

あと結構痛いことも言われる。幼少期から私を知っていて理解している人間となると、もう父も母も死んでしまった私には叔母しかいない。嫌といえば嫌だが、自分の内面性を見つめ直すいい機会になるなあ、とも思う。以前より精神的余裕ができたせいか、過去の自分のことを客観的に見れるようになってきた。おそらく成長しているということなんだろう。叔母曰く私の精神は9歳で止まっているらしいので、そろそろ12歳くらいには成長してくれないだろうかと思う。

そもそも、どうして今回こんなに長く福岡に滞在したかというと、実家整理が目的である。父が死んだのが去年の冬なので、かれこれ一年以上放置されている私の実家。こうしている間にも固定資産税がかかりまくっている。

にもかかわらず、面倒だという理由で(大学入学でバタバタしたのは事実だが!)実家整理を後回し後回しにしてきた。本当に面倒だった。

しかしついに、今年の夏は意を決して実家整理に挑んだのである。

あれだけ億劫に思っていた実家整理も、いざ手をつけ始めるとそんなに大変というわけでもなかった。生活の基盤が北九州の叔母の家なので、いちいち通わなければならないのだけ面倒だったが。

中学高校の旧友たちにも協力してもらい、そこそこ片付けることができた。3分の1くらいは片付いたんじゃないかな?と思っている。

「面倒臭い」「億劫だ」と感じるのは、それを成し遂げるための明確な過程がイメージ出来ていないからなんだなあ、とも思った。実際に頭の中でこれをこうしてこうする、と工程を組み立ててから実家整理に挑むとそれなりにスムーズだった。もちろん友人の手あってこそだが。

はっきり言って私は中高はロクでもないことばかりしては他人を傷つけているような性格最悪野郎だったのに、よくみんな未だに来てくれるなあと感動。もちろん学生だからそれなりに暇&久しぶりで同窓会気分というのもあったかもしれないけど。

 

それから、この夏で大きく変化したのが私の中での未来のビジョンだ。具体的に言うと、就職活動についてである。

なんとな〜くドラマよく見るし制作会社で小道具とか作ろっかなあ〜くらいにしか考えていなかったのだが、この夏結構暇だったのでチマチマと色々調べてみた。美大生の主な就職先や、就職先別ごとのポートフォリオや、職種や業務内容、年収、さらには新卒採用についてのサイトも見たりした。

今現在私には何のスキルも実績もないため、このままの状態で面接を受けても即不採用だとは思うが、先にゴールを知っておくとそれまでにどういうルートを通ればいいかなど逆算できるのでここの意識の変化だけでもとにかく大きいと思う。

考えがコロコロ変わる私なので信用はできないが、現時点ではゲーム会社の就職を目指そうかなあと考えている。グラフィックデザインやパッケージデザインほどデザイン科に寄っておらず、ファイン系にもまだ戦える余地がありそうだと思ったからである。

そして年収も(いいところに入れたらだけど)なかなかいい。これは重要である。

色々調べていくにつれ新卒の社会人がどのくらい稼げるのかなど現実的な物差しもわかってきた。わかってくればくるにつれ私の中ではある欲が強くなってきた。

金持ちになりたい!という欲である。

よくよく考えてみると、私がやりたいことは全て金があれば解決することに気づいた。そもそも世の中の大体のことが金で解決するのだろうけれど。

「愛は金で買えない」みたいなさんざんこすられまくった言葉があるけど、今は特に愛も不要である。ある程度金持ちになれば異性もついてくるんじゃないか?とも思っている。

とにかく高所得で金に困らず良いものに囲まれた豊かな暮らしがしたい!!この一心である。

さらにこの欲望?野望?に拍車をかけているのが周囲のニートの存在である。

地元の人間は上昇志向があまりないのか、親戚には普通に数人定職につかず引きこもり親のスネをかじっているみたいな状態の人間がいる。私からすると考えられないことだし、そんな刹那的な生き方があるかよと思うのだが、彼女たちはそれでいいらしい。そういうもうお先真っ暗みたいな人間を見ていると、絶対私はなしあがってやる!勝ってやる!みたいな野望がメキメキと芽生えてくるのだ。

とにかく今は就職に向けてphotoshopやillustlationのスキルを身につけるしかない!

そのつながりで、なんとMacbook proを買ってしまった。なんやかんやで17万かかった。17万。20年の人生で一番金を使った日である。ずっと欲しかったものなので確かに嬉しいのだけど、そのぶん働いていないくせにこんなにお金を使ってしまった・・・という罪悪感も大きい。友達は「出世払いだよ!社会人になればお金は稼げるし」と言ってくれたが、いいのだろうか・・・こんな・・・

うじうじするなら買わなきゃよかったじゃねーかという話だがでもやっぱり欲しかったんだもん!仕方ないでしょ!?

とにかく絶対に使いこなせるようにならないと…。

そういえば、前期は22単位授業を取っておきながら4単位しか取得できないという体たらくだったので後期は絶対にフル単しなければならない。地元の親友は常にフル単なそうである。

とにかく、後期は学業にプラスアルファでスキルの勉強(版画科なので独学!)に、金を使いまくっているのでバイト…の三足のわらじで頑張らないと。正直今までできてなかった学業だけでもきつそうなのに、それに2つ課題を足すなんて絶対にできなそうだ。しかもバイトは全然乗り気じゃない。自由に罪悪感なく使えるお金というのはありがたいけど、うまくやっていける気がしない。

とりあえず目星をつけているガラガラの本屋に面接に行って落ちたらまた考えよう。頑張ろう。

あ、あとプールでダイエットもしなければならない。今年の夏は叔母が通っているジムに一ヶ月間だけ入会して毎日1時間で1キロ泳ぐというのをやったら体重変化はあまりなかったがじゃっかん体が絞れた気がする。こういう、美容的なことも頑張らなければならない。今まで何も考えて来なかったつけがきた感じだ。でも時間がある学生のうちに頑張らないと。

 

めちゃくちゃ長くなったが私のこの夏をまとめるとそんな感じである。これだけの意識と熱意が行動に移せるのだろうか。

16タイプで人を分けた心理診断によれば、私はENTPというタイプらしく、いろいろなことに目移りして何もかも中途半端で終わらせがちだそうである(し、今んとこ実際そうだ)から今度こそ自分を変えなければいけない。自己啓発本みたいなブログになってしまった。とりあえずここまで。

 

スターマリオ

 

突然だが、私には小さい頃からずっと夢があった。漫画家になりたい、という夢である。一応美大に進学して、常に絵が環境にある状態では、この進路は特異なものではない。将来食っていけるのか、とか周囲の今志してる連中は就活しないのか、とか現実的な問題はいったん脇に置いといて。

インターネットをうろついていると、才能というのは本当にゴロゴロ転がっている。そしてその転がっている才能は、素人故に無償で読むことができる。

アフタヌーンの新人賞で気になる漫画家の方がいた。私と同じ20歳でありながら、非常に優れた漫画を描く人だった。

彼女のツイッターを覗いてみると、彼女はかなり病んでいた。病んでいる、というか、生きづらさを感じているというか。だからこそ彼女の作品にはパワーがあるのかもしれない。

ものすごくおこがましいことだが、父親が生きていた頃の自分を重ねてしまった。

あの頃の私は常にマイナスな感情に支配されていて、しかし同時にそのマイナスな感情を巨大な燃料として突っ走っていた。きっとあの時だからこそできたことがたくさんある。それがいいことかわるいことかはさておき。

一方今は物凄く幸せだ。夏休み前で帰省前というのが大きいのかもしれないが、とにかくマイナスな感情が沸いてこない。ものすごく精神が健康だ。

先日全身に蕁麻疹が出たけれど、絶対にストレスが原因ということはないと断言できる。だってストレスがないんだもの。

ものすごく自由で、幸福だ。きっと今が私の人生で言うところの観覧車の一番高いところの景色なんだろう。

あらゆることも根拠はないもののいつかは解決するはずだと過信している。まあ、今の私が直面する課題なんて容易いものであるというのもあるが。

漫画、一作目は「完成」が目標だったが、今度はクオリティの向上を目指して頑張ってみるかな。根拠のない無敵感がある。今の私には。

他人の目に映る自分を見る

 

本当に5月の私はてんで駄目で、常に困窮していた。しかし6月末の私は無事に(とまでは言い切れないけども)あなたの放り投げた課題を拾っていますよ。安心してください。

やはり毎年五月はてんで駄目な傾向にあるらしい。去年もたしかまるで学校に行っていなかった時期がこのへんである。

 

このサボりの罰として様々なプリント類をもらいに、質問をしに、研究室に行くことが多いのだけど、助手の私への当たりが異常に強い。正直普通にいやな気分になったし、傷ついたし、凹んだ。まあ私が悪いのだけど。

このブログはどこに対しても発信できないことを書くための、他者の存在を意識して自己演出することを放棄した、いわば息抜きの場であるために、こういうことも赤裸々に書こうと思う。(しかしどれだけ他者を意識しまいとしてもこの言い訳癖は抜けない…。)

人から怒られたとき・不快な態度を取られたときにまず感じるのは「傷ついた」という感情で、次に私が行うのはその他者へのご機嫌とりだ。やたら低姿勢でペコペコと謝る。それからはその他者に過剰なまでに怯え、表情や視線、その一挙一動に意識してしまう。要は私の気はかなり小さいのである。

ただ私のこうした悪癖は、すべて父親の育て方のせいであると思っている。父親は直情的でかつ情緒不安定だったため、正当性なしによく私を怒鳴りつけたり八つ当たりをしたりした。私の行動で父の機嫌が損なわれるのではなく、父の機嫌は最初から損なわれていてたまたま目についた私の行動を叱る、という感じ。だから極端な例でいえば機嫌が悪いときは私が勉強をしていても怒鳴るし、機嫌がいい時は私が連絡なしに家に帰らなくても何も言わなかった。そういう父だった。

そういう父と多感な思春期を過ごしたせいで、やたら他人に怯え、顔色を窺ってしまう癖がついてしまった。もちろんこの顔色伺いはよく言えば「空気が読める」ということで、このおかげでいじめに遭ったことはないし、こうしたおどおどとした本性を見せないようにする自己演出の術も身に着けているため、あまり他者に舐められることは少ないほうだと思う。しかしこの自己演出が発動するのは私が第一印象で舐めてかかった相手だけで、(それこそ父のように)私よりも大きく、金も権力もある上の立場の人間には最初からこの低姿勢でいってしまう節がある。

他人に対して常に怯えていることは自分自身とても苦しいし、そうやって自分の機嫌で相手に対する対応を変える人間なんてのはたいした人間じゃない。頭ではわかっている。わかっているのに、組み込まれたプログラムが私を自動的にそうさせてしまうのだ。

前々から気付いていたが私は他人よりもずいぶんと自意識が発達していて、その自意識が常に自分を苦しめている。きっとこの自意識から解放されたら私はもっと生きやすくなるだろうと思う。これは果たして加齢や時間が解決してくれる問題なのだろうか。

 

こんなんで私は社会でやっていけるのだろうか?

課題を出していないというのは私が悪いし、まあ注意はされて当然なのだけど、助手は明らかに私に嫌悪感をむき出しにした態度をとってくる。他の課題遅延者と比べたら結構露骨だ。こういう露骨な悪意(しかも私には何が原因か分からない)というものは、すごく怖いし、傷ついてしまう。私自身嫌いな人間には嫌悪感をむき出しにするしかなり傷つけようとした言動をするが、一方で受け身に転じたらま~~弱いのだ。心が。

こういう露骨な悪意は、社会に出たらもっと蔓延しているのだろうな、と思う。誰もがみんな親身なわけではないのだ。「若い女」というだけで受ける理不尽や被害が今か今かと私を待ち構えている。

私の人生にとってずっとつらかったのは父の存在で、現在はそれがなくなったせいでストレス量が8割ほど減って大層楽しい暮らしをしているのだけれど、突然そういった悪意にぶち当たったときに困惑する。逆に父と暮らしていたときのほうが悪意に慣れていたし(相変わらず傷ついてはいたが)、悪意で返す方法を知っていた。

すっかりぬるま湯につかってしまった私は助手につらく当たられてもへらへらとその場をやり過ごし、あとでしっかり一人で落ち込んでいる、というありさまだ。情けなくてみじめである。

「この人は自分に悪意を持っているのだから、この人には愛想をよくする必要がない!」と事前にその人に近づくときに頭の中で唱えて身構えないとすぐにカウンターは打てないし、相手の打つ小さなジャブでKOになってしまう。なので次回から助手と対峙するときは腹をくくって、殴り返すつもりで臨もうと思う。(やっぱすげえ緊張するし怖いだろうけど)

最近、人を傷つけるのも傷つけられるのも怖くなってきた。前よりも人間らしくなっということだが、この世の中、そうそう優しい人間なんていないし、常に目をぎらつかせている奴が最期までたっていられるのだ。他者にあまり情けややさしさをかけていたって仕方がない。

ふとツイッターで見た格言に、他人から見た自分ではなく自分から見た他人を気にしろ、というものがあって、私は自己啓発が大嫌いで陳腐だと見下しているのだけど、「なるほどなあ」と思ってしまった。案外私のような女が自己啓発本を買いあさることになるのかもしれない。

結局私が周囲の顔色をうかがってしまうのは自分をよく見せたいからだし、他者に攻撃されたくないからである。でも私がそんなに過剰に恐れている他者って、実は冷静にみれば大したことがない。まだ若くて大学在学中な私のほうが人生の選択肢が多いし、収入だって勝とうと思えば勝てるだろう。まあこのツイートの真意はこういう風に脳内でマウンティングを取りまくれということではないのだろうが、とにかく、先ほども述べたようにその人は偉大な人間には私の目にはうつらないということだ。

すぐに切り替えるのは難しいだろうし、社会に出ても他人からの悪意に摩耗して疲弊するのだろうと思うが、それでも少しずつ思考をシフトしていければいいなと思う。

他人に自分の機嫌・裁量で怒鳴り制圧しようとする人間は下等だしたいしたことはない。あまりに舐めてくるようならこちらも態度で示せばいい。

しかしこんなことが思えるのはワタシと助手になんの利害関係もないからであり、相手が上司など歯向かえば自分が損をするだけの相手はどうしたらいいか分からない。我慢するしかないのか。。。世知辛い世の中である。他人の悪意にこれから先できるだけ触れたくないなあと思う。私はそんなに強い生き物でもないし。

早く自意識から解放されたい。他人の目に映る私の顔を気にしたくない。