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攻撃する人、受け止める人

今日一日、ずっと親のことを考えていた。いつもなら趣味のことに頭を切り替えるとすぐに何もかもどうでも良くなってしまうのだけど、それもできないくらいに昨日の八つ当たりは理不尽で、激しかった。また今日も親は帰宅し私を罵倒するのだろうか。

この数年間で、驚くほどに耳が遠くなった。聞きたくないと思い続けたらちゃんと体はその思いを受け入れてくれるらしい。

また、現実逃避がおそろしいくらいにうまくなった。現実の自分と非現実の自分を使い分けるようになった。学校で同級生のつまらない話を聞きながら、頭では全然違うことを考えている時間が増えた。

人間として悪い方向に向かっている自覚はあるが、どう立ち向かえというのだろう。

最近、毎日親の葬式について想像する。こんなに憎い父親でも私は本当は愛したいのだ。たった一人の家族なのだから。

けれど私は笑ってやろう、と思った。棺桶に間抜けな顔で寝そべっている父親の死体に「ありがとう」と笑いかけてやろう。愛することより憎むほうが、許すことより許さないことのほうがずっと体力を消耗することは分かっていた。人間という生き物がそういう風には出来ていないからだ。でもそうすることを私は選んだ。とはいえ、死に顔を笑うくらいしか私にはできないが。

もし私が男ならば、もっと幼いころから体を鍛えて父をその気になれば殴り殺せるくらいの腕力を手に入れようとしただろう。しかし私は女であり、今の状態ではもちろん、これから体を鍛えたところで父親には勝てない。

ペンは剣より強しという言葉があるが、あれは嘘だ。

暴力がこの世で一番強い。理性で考える人間より本能で考える人間のほうが強い。自分を抑えることを知らないからだ。

正論を言ったところで怒鳴り声でかき消されればその声はもう無かったことになってしまう。

世の中というのは非常にうまい具合に出来ていて、誰かが感情を爆発させているときは必ず誰かが我慢をしている。歯を食いしばり、脂汗を流しながら懸命に耐えている。(耐えきれずにまた自分も他人に我慢を強いる人も居るけれど)

残念なことに私は家では耐える側の人間で、父の理不尽を前にただただ「死んでくれ」と祈るしかない。

あと一年、絶対に耐えてやる。東京に出て、絶対に幸せになってやる。家族なんてもううんざりだ。絶対に一人で生きて一人で死んでやる。