ひとの不幸を笑うな


よく思うのが、他人は他人のキャパシティがあるということを忘れてはならないということだ。

心にナイフを突き立てられてもたちまちそのナイフをへし折ってしまうような硬度の心の人も居れば、爪楊枝で突かれただけで破裂してしまう人もいる。むかつく、と思う。

弱ければ弱いほど周りに甘んじるということだ。あの子は弱いから、と周りに守ってもらえるということ。

しかし最近になって知ったのだが、『大人は強くて当たり前』ということである。

小さい頃は泣き虫でも成人して結婚して子供を作ったらもう泣き虫や庇護者としては扱ってもらえなくなる。当たり前だが、残酷だ。

みんながみんな強くなれるわけじゃない。小さい頃に爪楊枝で破裂していた心の持ち主は、大人になってもやはり針でツ疲れれば破裂してしまうだろう。けれど社会はそれを許さない。優遇は子供時代までだ。

ざまあみろと思う反面、かわいそうだとと思う。

そういった傷だらけの大人たちは誰に守り、傷を癒してもらうのだろう。


おそらく、己の子供なのではないか。



話がずれすぎた。

私はつまり、他人の不幸は他人にしかわからないということだ。

他人の苦しみや悩みや不幸は結局他人の私たちには理解できないし、そもそも関係がない。

自分の物差しで上から物を言うのは優越感に浸れて気持ちがいいが、そんな薀蓄をたれたところで何も解決しない。他人の不幸は他人の不幸、自分の不幸は自分の不幸。それに己の器だのなんだのを含ませたらおかしなことになる。

ひとの不幸は笑ってはならない