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父と母によって生かされている

父が死んでからというもの、母の夢も見るようになった。

母が亡くなったあとに作り置き(冷凍?)していた母の手料理が冷蔵庫にあって、父親と二人でそれを食べながら私は母に何もしてやれなかったな、と後悔するという夢だった。起きたとき私は泣いていた。時々泣きながら目が覚めることがある。

とても「悲しい」という感情に支配されていた一方で、何でこんなに悲しいんだろうかと一線引いたところで見ている自分もいた。

母は、9歳の時に亡くなった。癌だった。

私は9歳だったので当時のことをよく知らないし父も死んでしまった今出来るだけその父と母の確執とか、要は死んでいった人間の感情を背負いたくないという気持ちがあり、知る気もない。知りたくない。

なので母は家族のようでいて他人なのだった。物心つくのが3歳として、母とは6年間しか一緒にいなかったことになる。6年というと中学から今でも交流がある友達とかと同じ縁の長さだ。

もちろん親子と友人関係では濃さがまるで違うとは分かっているが、それだけ濃い付き合いや愛情などを与えられておきながら私は母と家族であったという自覚を著しく欠かけていた。

父と暮らしていたころは母の夢なんて見ることはなかった。母の不在があまりにも当たり前で、特別意識するようなことではなかった。それでも父子家庭だからといって同情を買うために、あるいは選民意識を持つためにしばしその事実をやたらとオープンにしてみたりもしたが、実際はほぼ気になっていなかった。

父も母も、いなくても生きていけると私は思っていた。

 

正月、叔母の元に帰省した際に、人は何かを与えないと何かを与えてくれない、無料ほど怖いものはないのだ、借りを作ったら必ず返さなければならない、と言われた。

ぼんやりと親が死んだ子供という位置に甘んじて与えられてきた私は、愚かなことにその言葉で冷や水を浴びせられたような気持になった。

怖い、と思った。

母の友人・知人たちが私に親切にしてくれるのは母の力で私の力ではないのだとも言われたが、さすがにそれは分かっていた。「私」ではなく「母の子供」に母が残した貸しを返しているのだ。

しかし母が死んで10年が経つと、もうその効果は切れると叔母は言った。

現に、今私が親切にしてもらっている人々に叔母はたくさんのものを返して回っている。叔母は私の保護者でいてくれているので、叔母が私が与えられた貸しを返しているのだ。

大人って、めんどくさい。正直な感想だった。厄介だった。

もうこんな小さくて終わっているコミュニティからは遠く離れて何も与えられなくていいから何も与えずにひっそりと自分の脚で生きていきたい。ぼんやりそう思った。

あれだけ父が死んだときに一人じゃないのか、と感じ、二度と福岡には帰らずに東京で一人で生きていくんだという決心をあっさりと撤回した私は、またもや同じような考えを抱いている。

きっとこれは正しくない。でも正しいことは面倒くさいのだ。

 

私は父と母によって生かされている。どんだけ偉そうな口を叩いたって父の財産と母の財産で生かされている。保護されている。生育されている。

それぞれ質こそ違えど、私のために遺した財産だ。

 

時々考える。父は結局だれとも愛し合えず分かり合えず一人で死んでしまった。唯一の家族であった私とも愛し合えず分かり合えず寄り添えなかった。

彼の一生はあまりに孤独で淋しい。もちろん彼の人格や生き方は人に誇れるようなものではけしてなかったと思うし、その結果がこうして最後に出たのだけれど、やはり家族の私は、娘の私は、お父さんのことが好きだった私は、悲しいし、してあげられなかったことが残念だ。してあげれたかどうかは別として。

私には未来があるが、父はもう死んでしまった。終わった人間だ。これから誰かとまた分かり合えることも愛し合えることもない。

父と母によって生かされている私は、きっと父に対してやった失敗をまた繰り返しながら、その恩恵をいつか切らして、自分の脚で立つしかなくなるのだろうなあ、とぼんやりと思う。

今年の夏は、福岡には帰らない。