他人の目に映る自分を見る

 

本当に5月の私はてんで駄目で、常に困窮していた。しかし6月末の私は無事に(とまでは言い切れないけども)あなたの放り投げた課題を拾っていますよ。安心してください。

やはり毎年五月はてんで駄目な傾向にあるらしい。去年もたしかまるで学校に行っていなかった時期がこのへんである。

 

このサボりの罰として様々なプリント類をもらいに、質問をしに、研究室に行くことが多いのだけど、助手の私への当たりが異常に強い。正直普通にいやな気分になったし、傷ついたし、凹んだ。まあ私が悪いのだけど。

このブログはどこに対しても発信できないことを書くための、他者の存在を意識して自己演出することを放棄した、いわば息抜きの場であるために、こういうことも赤裸々に書こうと思う。(しかしどれだけ他者を意識しまいとしてもこの言い訳癖は抜けない…。)

人から怒られたとき・不快な態度を取られたときにまず感じるのは「傷ついた」という感情で、次に私が行うのはその他者へのご機嫌とりだ。やたら低姿勢でペコペコと謝る。それからはその他者に過剰なまでに怯え、表情や視線、その一挙一動に意識してしまう。要は私の気はかなり小さいのである。

ただ私のこうした悪癖は、すべて父親の育て方のせいであると思っている。父親は直情的でかつ情緒不安定だったため、正当性なしによく私を怒鳴りつけたり八つ当たりをしたりした。私の行動で父の機嫌が損なわれるのではなく、父の機嫌は最初から損なわれていてたまたま目についた私の行動を叱る、という感じ。だから極端な例でいえば機嫌が悪いときは私が勉強をしていても怒鳴るし、機嫌がいい時は私が連絡なしに家に帰らなくても何も言わなかった。そういう父だった。

そういう父と多感な思春期を過ごしたせいで、やたら他人に怯え、顔色を窺ってしまう癖がついてしまった。もちろんこの顔色伺いはよく言えば「空気が読める」ということで、このおかげでいじめに遭ったことはないし、こうしたおどおどとした本性を見せないようにする自己演出の術も身に着けているため、あまり他者に舐められることは少ないほうだと思う。しかしこの自己演出が発動するのは私が第一印象で舐めてかかった相手だけで、(それこそ父のように)私よりも大きく、金も権力もある上の立場の人間には最初からこの低姿勢でいってしまう節がある。

他人に対して常に怯えていることは自分自身とても苦しいし、そうやって自分の機嫌で相手に対する対応を変える人間なんてのはたいした人間じゃない。頭ではわかっている。わかっているのに、組み込まれたプログラムが私を自動的にそうさせてしまうのだ。

前々から気付いていたが私は他人よりもずいぶんと自意識が発達していて、その自意識が常に自分を苦しめている。きっとこの自意識から解放されたら私はもっと生きやすくなるだろうと思う。これは果たして加齢や時間が解決してくれる問題なのだろうか。

 

こんなんで私は社会でやっていけるのだろうか?

課題を出していないというのは私が悪いし、まあ注意はされて当然なのだけど、助手は明らかに私に嫌悪感をむき出しにした態度をとってくる。他の課題遅延者と比べたら結構露骨だ。こういう露骨な悪意(しかも私には何が原因か分からない)というものは、すごく怖いし、傷ついてしまう。私自身嫌いな人間には嫌悪感をむき出しにするしかなり傷つけようとした言動をするが、一方で受け身に転じたらま~~弱いのだ。心が。

こういう露骨な悪意は、社会に出たらもっと蔓延しているのだろうな、と思う。誰もがみんな親身なわけではないのだ。「若い女」というだけで受ける理不尽や被害が今か今かと私を待ち構えている。

私の人生にとってずっとつらかったのは父の存在で、現在はそれがなくなったせいでストレス量が8割ほど減って大層楽しい暮らしをしているのだけれど、突然そういった悪意にぶち当たったときに困惑する。逆に父と暮らしていたときのほうが悪意に慣れていたし(相変わらず傷ついてはいたが)、悪意で返す方法を知っていた。

すっかりぬるま湯につかってしまった私は助手につらく当たられてもへらへらとその場をやり過ごし、あとでしっかり一人で落ち込んでいる、というありさまだ。情けなくてみじめである。

「この人は自分に悪意を持っているのだから、この人には愛想をよくする必要がない!」と事前にその人に近づくときに頭の中で唱えて身構えないとすぐにカウンターは打てないし、相手の打つ小さなジャブでKOになってしまう。なので次回から助手と対峙するときは腹をくくって、殴り返すつもりで臨もうと思う。(やっぱすげえ緊張するし怖いだろうけど)

最近、人を傷つけるのも傷つけられるのも怖くなってきた。前よりも人間らしくなっということだが、この世の中、そうそう優しい人間なんていないし、常に目をぎらつかせている奴が最期までたっていられるのだ。他者にあまり情けややさしさをかけていたって仕方がない。

ふとツイッターで見た格言に、他人から見た自分ではなく自分から見た他人を気にしろ、というものがあって、私は自己啓発が大嫌いで陳腐だと見下しているのだけど、「なるほどなあ」と思ってしまった。案外私のような女が自己啓発本を買いあさることになるのかもしれない。

結局私が周囲の顔色をうかがってしまうのは自分をよく見せたいからだし、他者に攻撃されたくないからである。でも私がそんなに過剰に恐れている他者って、実は冷静にみれば大したことがない。まだ若くて大学在学中な私のほうが人生の選択肢が多いし、収入だって勝とうと思えば勝てるだろう。まあこのツイートの真意はこういう風に脳内でマウンティングを取りまくれということではないのだろうが、とにかく、先ほども述べたようにその人は偉大な人間には私の目にはうつらないということだ。

すぐに切り替えるのは難しいだろうし、社会に出ても他人からの悪意に摩耗して疲弊するのだろうと思うが、それでも少しずつ思考をシフトしていければいいなと思う。

他人に自分の機嫌・裁量で怒鳴り制圧しようとする人間は下等だしたいしたことはない。あまりに舐めてくるようならこちらも態度で示せばいい。

しかしこんなことが思えるのはワタシと助手になんの利害関係もないからであり、相手が上司など歯向かえば自分が損をするだけの相手はどうしたらいいか分からない。我慢するしかないのか。。。世知辛い世の中である。他人の悪意にこれから先できるだけ触れたくないなあと思う。私はそんなに強い生き物でもないし。

早く自意識から解放されたい。他人の目に映る私の顔を気にしたくない。

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